2014年7月8日火曜日

消えた戦艦大和


1945年4月7日、菊水作戦と称して沖縄戦線に向かうため、
瀬戸内海を出航した「戦艦大和」は、米国軍の猛攻撃によって、
14時23分、鹿児島県の坊ノ岬沖で撃沈された。

敗戦のショックや戦後の混乱を知らないボクたちは、

戦争とは殆ど関わりのない山の奥の、のどかな山猿生活を謳歌していた。

そんな中でも、時々行き交う米国のジープや、
ホロ付きのトラックが、国道をわがもの顔で通過していった。

チューインガムとかギブミーチョコレートとねだることはなかったし、

何しろ敗戦の悔しさなど、山猿のボクには知る由もなかった。
また、知る必要もなかった。

米国主導型の”自由と民主主義”の精神による、マッカーサーの教育改革は、

それまでの帝国主義精神を根こそぎひっくり返したという。
しかし、それら教育現場での混乱は、昭和30年代半ばから受けた、
ボクたちの時代は、既になかった。

あの時代を知っていた教師はいた筈だった。

あの混乱を体験した人も、当然いた筈である。

なのに、新時代の教育が見事なまでにカタチを変えていた。
さもあの恐怖時代がなかったかのように。

だが今、新たな混乱の時代へ入ってしまったようだ。

どこで、何を間違えてしまったのだろうか。

昭和30年代に入ると、米国風文化がボクたちの茶の間へ、

怒濤のように押し寄せてきた。

誕生日にはケーキを。そしてパン食にコーヒー、チョコレートやアイスクリーム、
モンペ姿がスカートやズボンに。
極めつけは、それまで全く知らなかったクリスマスである。

日本の多くの家庭は仏教徒であり、わが家もその宗派である真言宗なのに、

何故だかクリスマスに浮かれているのだ。

今思えば、摩訶不思議と言えなくもない。
しかし、子どもたちにとって、クリスマスは実に歓迎すべきものに違いなかっただろう。

小雪ちらつく年の瀬。日本古来からある正月。

そのワクワクする大イベントを待たずしての、
舶来のクリスマスは、子ども心をも沸騰させる衝撃的なものであった。

ボクたちにとって、宗教の違いなど全く関係ないのであった。
あれはいつの頃だっただろうか。

初めてのクリスマスだったのか、それとも何度目かだったのか。
それは、今の子どもたちには、到底理解できない感動があった。

「サンタクロースがやってくる」と言うのだ。

クリスマスには、トナカイに乗ったサンタクロースがやってくる。ボクたちは、
そう信じて疑わなかった。今なら、笑うだろうが。

「サンタクロースが来るから、早く寝ろ!」と親が急かせる。

がしかし、そう言われるとますます眠れなくなる。何しろ興奮しているのだから。
「サンタクロースはどこから来る?」と聞くと、「たぶん、エントツからやろ」と
父親が言う。エントツは五右衛門風呂の後ろにあった。

「エントツは細いけど、入れるんやろか?」と言う。苦りきった顔で父親は、

「サンタクロースはエントツが好きなんや」と、わけの分からないことを言った。
「ふ~ん」とボク。なかなか寝付けなかったボクは、いつの間にか夢の中であった。

次の朝、ボクの枕元にはきれいに包装した、当時発刊したばかりの

少年サンデー(だったと思うが定かではない)が置かれてあった。

親ではなく、サンタクロースに感謝した。ページが折れないように、丁寧に捲った。
何色かに分かれた連載漫画と、その間にプロ野球のスター選手の写真、
ターザンの情報が挿入されてあった。

ジャングルの中を木から木へ飛び移る。

百獣のライオンや獣たちが、同じ方向へ走っている絵である。そして情報では、
どこか外国の旅客機がジャングルに墜落して、一人の赤ん坊だけが助かった。

その子どもは獣によって育てられ、やがてジャングル王になったというものであった。
何でもすぐに信じてしまう子どもにとって、これほどの衝撃はなかったろう。

衝撃を受けたターザンより、もっと刺激的なものがあった。

漫画に挟み込んであった附録である。二つ折りの厚紙でビニル袋に入っていた。

「戦艦大和」と印刷されてあった。大小切り込みのある数十片のピースの端に、

番号が付けられていて、同封の説明書を見ながら組み立てるのである。
もちろんセメダインもある。

漫画はともかく、「戦艦大和」の組み立てに没頭した。

そして、くる日もくる日も「戦艦大和」を眺めて暮らした。

ところが、三学期が始まったある日、「戦艦大和」が突然、消えてしまったのである。

家中探し回ったが、ついに見つからなかった。ショックであった。
あれだけ苦心して組み立てたのに、忽然と消えたのである。
坊ノ岬沖のできごとのように。

父親は「知らん」と言う。そして三つ上の姉がこっそり言った。

「じいちゃんが風呂に焼べた」と。ボクは祖父を憎んだ。
それから祖父との長い遺恨の日々が続いた。

暫くして姉は、言い忘れたかのように「漁が、勉強もせんと、

遊んでばっかりや」と怒って、風呂の焚き付けにしたと付け加えた。